AKTR SPRING SUMMER

Column

rock 2012.02.09

バスケとROCKの素敵な関係

大阪のストリートボールシーンを牽引するチームの1つ、「大阪籠球会(おおさかろうきゅうかい)」
個性豊かなチームの個性の1つである、ISEがSIDEにてコラム連載開始。
バスケとROCKは不思議なつながりがあるというが?!

 

 

はじめまして。大阪籠球会というチームで活動しているISEと申します。
Ryzmの広田氏とAKTRのhironova氏に声をかけてもらいコラムを書かせてもらうことになりました。
 

今回僕が書かせてもらうのが「数字」に関わるお話。
 
まず僕たちが大好きでチーム名の一部でもある「籠球」という文字。
 

数字にすると「69」
「69」=「籠球」というより
一般的には「69」=「ROCK」ではないでしょうか?
6月9日には各地のLIVEハウスなんかではよく「ROCK」に関するイベントが行われたりしてます。
6月9日に「籠球」バスケのイベントやってる!なんてあまり聞いたことがありません。
 

「バスケ」=「HIPHOP」
これは紛れもないカルチャーであり、僕自身も小さい頃からそう思ってました。
僕はバスケしながらブルーハーツやハイスタを聞いてましたけど(笑)
 

2005年、大阪籠球会が結成され僕達は様々なイベントに出演させてもらいましたが、
殆どHIPHOPのイベントでした。
そんな中、ひょんなことから知り合った「10-FEET」というROCKバンド。
LIVEに遊びに行ったり、僕らの試合やパフォーマンスを見てもらったりしてる内に急接近し、
2010年、10-FEETが主催する「京都大作戦」という夏フェスに出演させてもらうことに。
2万人の前でバスケパフォーマンス。そして「ROCK」とのコラボ。
 
 

 

「籠球」=「69」=「ROCK」が繋がった瞬間でした。
 
 

ここをご覧になってる方はほとんどの方がお気付きだと思いますが・・・
 

「10FEET」=「3m4.8cm」
「バスケのリングの高さ」=「3m5cm」
 

 

この出会いが必然だったと僕は思っています(笑)
 
 
 

「バスケ」と「ROCK」について自分の記憶を無理やり辿っていました。
小学生の時やったと思うんですが、とんねるずの番組(みなさんのおかげですか生ダラ)で
とんねるずと「THE ALFEE」が3on3で対決していたことを思い出しました。
タカミーこと高見沢さんはなかりのバスケフリークで
ツアーにゴールとボール持って行ってたみたいです。
バブリーですね(笑)
しかも1994年に横浜アリーナで行われたNBAの開幕戦(クリッパーズvsブレイザーズ)で、
アメリカ国歌をギターで演奏。
この時僕は中学生でビデオを録画しにダッシュで学校から帰った記憶があります。
NBAモデルのギターも登場したみたいですね。凄い。。。
バスケットボール雑誌『ダンクシュート』で「AIR HORDAN」というコラムも
連載してたみたいです。
凄いぜ、タカミー!!!
2012年、タカミーとコラボなんて・・・可能性は0じゃない!
 

余談ですが、2003年のNBA開幕戦(埼玉スーパーアリーナ)は
大阪からヒッチハイクで見に行きました(笑)
 
 

こうやって様々なジャンルと関わっていくことが出来るのって
どこにも属さない僕らストリートの人間にしかできないと思ってます。
ROCKの次はアイドル?アニメ?〇〇・・・
今度はどんなジャンルと交わって行くのか。乞うご期待!!
 
 
BY ISE(大阪籠球会)

rock 2011.07.05

It’s better to burn out than to fade away

「It’s better to burn out than to fade away」
 

さてさて
コラム一発目って事ですがバスケとロックの重箱の隅を突いてみましょうか。
 

ロックの中でもオルタナティブ・ロックのグランジから。
まず「alternative」は一般的には「代替」のような意味の単語で音楽、文化方面に直すとメジャーシーンに対する「反発」「カウンター」というような意味合いで使われてるんですね。
「SIDE」でも重要な単語です。
そんなオルタナティブ・ロックの「グランジ」というジャンルから「Nirvana」と「Pearl Jam」それに続くバンドとの何だか妙なバスケとの関係を。
 

グランジと言えば、90年代初頭にシアトルを中心として巻き起こったロック・ムーブメントですがこの時代シアトルは様々な分野で活気付いていました。もちろんバスケも類に漏れず。ご存知スーパーソニックスが1989年はショーン・ケンプ、翌年にゲーリー・ペイトンそして1991年にジョージ・カールHCを獲得することにより93-94年にカンファレンス最高勝率を獲得し、95-96年にファイナル進出する近年の全盛期を迎える事となるのです。
 


 

その街の活気の後押しをうけて「Nirvana」と「Pearl Jam」がともに1991年にリリースしたアルバムが大ヒット。
 

・Nirvana‐「NEVERMIND」・Pearl Jam‐「Ten」
 

グランジと呼ばれるジャンルの代表格になって行きます。
比較されやすい事もありボーカル同士、カート・コバーンとエディ・ヴェダーはかなりの不仲。なんやかんやメディアでの応酬が度々起こってました・・。
 

へーってところから、何はともあれこの二つのバンドのバスケにまつわるエピソードをまずは紹介。
 

さてさていきなりですがムーキー・ブレイロックはご存じでしょうか?パールジャム好きな方はピンと来てるかもでしょうが
 

ムーキー・ブレイロックはテキサス生まれのNBA選手。
1989年オクラホマ大学からドラフト一巡目12位で
ニュージャージー・ネッツでデビュー。
1992年にアトランタ・ホークスに加入。
1994年と1995年にディフェンシブ・ファーストチームに選ばれる。
2002年にウォリアーズで引退。
 

まぁファーストチーム選ばれているけど、もちろん当時のスーパースターたちに比べると、なんだか地味な印象・・だけどこの「ムーキー・ブレイロック」実はさっき紹介した「パールジャム」のデビュー寸前までのバンド名だったんです。
 

パールジャムはメンバーがかなりのバスケ好きでデニス・ロッドマンと親しい中でも知られているがムーキー・ブレイロックって・・しかも「Ten」というアルバム名もムーキーの10番から。
 

なんだか理由はよくわからんがバスケが好きな事はよくわかる。。


ニルヴァーナにはバスケ好きかどうかは定かではないにしろ史上最高なバスケロックなPVがあります。

バスケットコートで歌われるこのPVはニルヴァーナの代表曲となり世界にインパクトを与えた曲として語りづがれることになるのだが、ただ、売れすぎてしまったこの曲の事をずっとカートは呪うことになります・・。
そして呪ったままカートは1994年を迎えるのです。

全ては「1994年」
 

ここでやっとロックとバスケットボールの奇妙な関係が浮かび上がります。
 

1994年バスケでは、カートの嫌いだったパールジャムがバンド名としていたムーキー・ブレイロックが初のディフェンシブ・ファーストチームに選ばれた年。
そして、シアトルス・パーソニックスがカンファレンス最高勝率を納めながらプレイオフで第8シードに敗れるというNBA史上初の大波乱が起きた年です。
 

その活躍と波乱を見届けたのか否か・・
 

1994年4月8日カート・コバーンがシアトルの自宅で自殺。
 

もちろんバスケと自殺の因果関係なんて、あるとは思えませんがシアトル出身のニルヴァーナの一番のヒット曲、そしてカート自身が一番忌み嫌った曲「Smells Like Teen Spirit」が 犬猿の仲だったエディの大好きなバスケットボールのコートで演奏されているのを見ると、全く関係無いはずのバスケットボールが何だか関係のあるものに感じてしまう。。
 


 

そして何かの終わりがあれば始まりも・・。
 

1991年
二つのバンドの絶頂期にシアトルから遠く離れたマンチェスターで「ザ・レイン」というバンドが結成されます。
後にバンド名を変え1994年4月11日カートの死の3日後に「スーパーソニック」とういうシングルでメジャーデビューするバンドは「OASIS」
 

レインにスーパーソニック???
 

・・・・・
 

もちろん
偶然だろうし意図は無いのかもしれない、でも、どの歴史にも記載されない、バスケとロックの奇妙な偶然・・・??
 

なんだかロマンチックでしょ?
 

BY HIROTA(Ryzm)

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