AKTR SPRING SUMMER

Column

Column 2012.10.23

閉鎖組織


 

日本のバスケ情報を独自の視点で幅広く紹介してくれるサイト
 

『クラッチタイム』さんで
 

スゴく共感できる記事があがってたのでご紹介と共に一言。
http://www.clutchtime.net/column/clutchtimes121011_3991.html
 

この件は僕も
携帯で結果が見れない事いつも腹立たしく思ってたけどやっぱり酷い。
結果を載せる以上のサービスはできませんとラインを引いたようなもの・・。
結果なんて導入で、そこから課金のサービスはリーグなり、チームが努力して行う事でしょ・・。
目先の登録費で暮らしてるから目先の金を取りに行く事だけなんだよね
発想が。
 

60万人の登録者の何割がファンだから
その何割が課金に登録すれば・・みたいな・・失笑
全部内向き・。。
閉鎖の典型。
 

しかし組織って
少しでも大きくなると
どうしてこうも愚鈍になるんでしょう。
あぁ馬鹿らしい。

Column 2012.04.04

機能が世界を変える?

大阪籠球会に所属するISE。今回は様々なギアの「機能」に注目。

本来パフォーマンスの向上や、利便性を追求してギアに付加された「機能」。

防水性や透湿性、はたまたクッション性。機能で人の行動はどう変化するのか。

ISEのコラム第2段!!
 

先日、SIDEでもお馴染み「AKTR(アクター)」のバスパンを購入しました。

私、182cm、80kgという体格ですが購入したサイズは「M」

普段履き用にしようと思ったので「M」サイズにしました。

私服の時、短パンは膝上。男は膝上!な大阪籠球会ISEが今回は「機能」をテーマにコラムを書かせてもらおうと思います。
 


 

購入したバスパンには腰部分にカラビナなどが付けれるように工夫されています。

そんな重い物は付けれないとしてもタオルであったりカギであったり今までになかったスタイルが生み出せるのです。

「機能」と言えば大げさになってしまうかもしれないがこれ一つで「遊び」の幅がグンと広がるのは確かです。
 

こういう風に「使いたくなる」「試したくなる」そんなアイテムっていろいろあると思うんです。

例えば僕が好きなアウトドア。「ゴアテックス」のアウターを購入した時、何故かそのアウターを着て初めて「雨」に遭遇した時、なんだかワクワクしちゃうんですよね。

傘を持っててもわざとちょっと濡れて「ゴアテックス」の優れた防水性と透湿性を試したくなるんです。笑

「わかる!わかる!」って人もこのサイトを見てくれている人の中にもいるのではないでしょうか?
 

一昨年に地元のリサイクルショップで「ノースフェイスのポンチョ」を購入した時は「早く雨降らんかなー」ってずっと思ってました。
 


 

ポンチョってサッと着れるじゃないですか。そのスムーズな感じもかっこいいんですよね。

強い雨やと下半身ビショビショですが・・・笑

この格好で自転車でこけた女の子を助けようとして拒否されたのはここだけの秘密です・・・。

迷彩がまずかったのかな・・・。
 

「バスケ」で言うとやっぱ「バッシュ」が「機能」と一番リンクしているアイテムではないでしょうか。

NIKEのAIR、アシックスのGELなどメーカー独自の「機能」があります。

中学からバスケ始めて履いたり見てきた歴代のバッシュ。その中でも一番「機能」という言葉で思い出すのがNIKEの「air shox」
 


 

「踵部分にバネみたいなのが付いてる!」っていうのが第一印象。

そして何よりこの「airshox」を世に広めたのが「ビンスカーター」でしょう。

まだ記憶に新しい2000年のシドニーオリンピック。

この「airshox」を履いてプレーしていたビンスカーターは、213cmもあるフランス代表のフレデリック・ワイス選手を飛び越えてスラムダンクをブチかましてしまったのです。
 


 

これを見た世界中の少年、いや世界中のバスケ選手が「これ履いたらジャンプ力が上がる!」と思ったのは間違いないと思います。笑
 

実際僕も友達が履いていたshoxを履いてプレーしたんですが・・・

本来ジャンプする時ってつま先を使うんですがshoxを意識してしまうが故の、踵を使おうとした変なジャンプ。

いつもより飛べなくなる自分。

あの変な感覚は今でもはっきり覚えています。笑

はっきり言ってしまえばshoxはジャンプする為の機能ではなく着地した際に機能を発揮するもの。

一瞬でも世界中のバスケ選手に夢を与えてくれたビンスには拍手を贈りたいです。
 

こんな風にワクワクして使いたい、試したいって思うアイテムが沢山出てきたらいいな。

そんなアイテムを夢を与えれる選手が身につけてスゲーPLAYをする。
 
 

鬱々とした雨の日も

つらい練習の日も

一つの「機能」が世界を「ワクワク」に変えてしまう。

そういうアイテムに巡り合えるって本当に素敵。
 
 

皆さんも是非

自分のモチベーションを上げる最高の一品を見つけてください!!!

Column 2012.02.09

バスケとROCKの素敵な関係

大阪のストリートボールシーンを牽引するチームの1つ、「大阪籠球会(おおさかろうきゅうかい)」
個性豊かなチームの個性の1つである、ISEがSIDEにてコラム連載開始。
バスケとROCKは不思議なつながりがあるというが?!

 

 

はじめまして。大阪籠球会というチームで活動しているISEと申します。
Ryzmの広田氏とAKTRのhironova氏に声をかけてもらいコラムを書かせてもらうことになりました。
 

今回僕が書かせてもらうのが「数字」に関わるお話。
 
まず僕たちが大好きでチーム名の一部でもある「籠球」という文字。
 

数字にすると「69」
「69」=「籠球」というより
一般的には「69」=「ROCK」ではないでしょうか?
6月9日には各地のLIVEハウスなんかではよく「ROCK」に関するイベントが行われたりしてます。
6月9日に「籠球」バスケのイベントやってる!なんてあまり聞いたことがありません。
 

「バスケ」=「HIPHOP」
これは紛れもないカルチャーであり、僕自身も小さい頃からそう思ってました。
僕はバスケしながらブルーハーツやハイスタを聞いてましたけど(笑)
 

2005年、大阪籠球会が結成され僕達は様々なイベントに出演させてもらいましたが、
殆どHIPHOPのイベントでした。
そんな中、ひょんなことから知り合った「10-FEET」というROCKバンド。
LIVEに遊びに行ったり、僕らの試合やパフォーマンスを見てもらったりしてる内に急接近し、
2010年、10-FEETが主催する「京都大作戦」という夏フェスに出演させてもらうことに。
2万人の前でバスケパフォーマンス。そして「ROCK」とのコラボ。
 
 

 

「籠球」=「69」=「ROCK」が繋がった瞬間でした。
 
 

ここをご覧になってる方はほとんどの方がお気付きだと思いますが・・・
 

「10FEET」=「3m4.8cm」
「バスケのリングの高さ」=「3m5cm」
 

 

この出会いが必然だったと僕は思っています(笑)
 
 
 

「バスケ」と「ROCK」について自分の記憶を無理やり辿っていました。
小学生の時やったと思うんですが、とんねるずの番組(みなさんのおかげですか生ダラ)で
とんねるずと「THE ALFEE」が3on3で対決していたことを思い出しました。
タカミーこと高見沢さんはなかりのバスケフリークで
ツアーにゴールとボール持って行ってたみたいです。
バブリーですね(笑)
しかも1994年に横浜アリーナで行われたNBAの開幕戦(クリッパーズvsブレイザーズ)で、
アメリカ国歌をギターで演奏。
この時僕は中学生でビデオを録画しにダッシュで学校から帰った記憶があります。
NBAモデルのギターも登場したみたいですね。凄い。。。
バスケットボール雑誌『ダンクシュート』で「AIR HORDAN」というコラムも
連載してたみたいです。
凄いぜ、タカミー!!!
2012年、タカミーとコラボなんて・・・可能性は0じゃない!
 

余談ですが、2003年のNBA開幕戦(埼玉スーパーアリーナ)は
大阪からヒッチハイクで見に行きました(笑)
 
 

こうやって様々なジャンルと関わっていくことが出来るのって
どこにも属さない僕らストリートの人間にしかできないと思ってます。
ROCKの次はアイドル?アニメ?〇〇・・・
今度はどんなジャンルと交わって行くのか。乞うご期待!!
 
 
BY ISE(大阪籠球会)

Column 2011.09.08

ブザービート〜崖っぷちの推理編〜

懐かしい・・感じになっちゃってますね
2009年7月から放送された月9ドラマ。
 

やはり特筆は「バスケ」を扱ったということ。
 

ただでさえドラマの視聴率が低迷していた時期・・
人気漫画が原作な訳でもなく・・不安要素たっぷりな
「バスケ」を題材にした企画。
 


 

バスケファン、ジャニーズファンならずとも、なんだか心配してしまうスタートだった訳ですが、そんな心配をよそに視聴率は上がり続けなんと「第62回 ザテレビジョン ドラマアカデミー賞 最優秀作品賞」賞まで取ってしまうのです・・。
 

しかし・・そもそもなんでバスケ??
なぜ冒険した?? 
 

その鍵を握る人物
脚本の大森美香さん。
  

数々のヒットドラマを手がけており
まさに満を持しての登場だった訳です。
 

そんな彼女
大森美香さんは1972年3月福岡県生まれ
神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒の
青山女子短期大卒。
 

この時点でまぁバスケ好きはピンと来ちゃいますよね。
この生い立ち・・
間違いなく
バスケ好きなはず・・
 


 

1972年生まれと言う事は、13歳頃の1985年この年は、阪神の優勝やPLのKKコンビなど野球全盛。
思春期、青春の真っ只中において、特に歳の近いKKコンビは、当時の誰もがそう思ったようにアイドル的な存在だったはず。
 

その後の人生でスポーツ界にアイドルを求める。。
というのは自然の流れであったと思える。
そんな中で、福岡出身の彼女、高校は神奈川県の横浜翠嵐高等学校に通います。
当時の神奈川は甲子園では奮いません・・
それでは誰をアイドルに・・って
 

いますよ。。いましたよ。
 

バスケット界に。
 

当時、神奈川最強の
湘南工科大付属高校
「赤穂」「南山」「沖田」
三人とも「マコト」のMMMトリオ!w
 

全国ベスト4にて、3人とも全日本級のトップ選手になっていく黄金期。
 

間違いなく
好きでしたね・・これは。
南山さんすげーイケメンだし・・。
 

そして
青山女子短期大卒・・って、代々木第二が徒歩圏内じゃないですか・・。
バスケ観に行きたいから選んだんですか?
と聞きたくなるような流れ。。
 

挙句の果てには、1995年の地元福岡でのユニバ。
追いかけていた選手たちが出場し銀メダルの快挙。
 

この時23歳〜24歳だった大森さんは
新卒からの会社を辞めています。
まさかとは思いますが・・
福岡ユニバを観る為に・・・・。
 

これは、もう完全にバスケが好きです。
大森美香さん。
 

もちろん全部、憶測ですけど・・・笑
 

しかし
地上波であれだけバスケがフューチャーされて、電波に乗っていた時期は恐らくスラムダンク以来でしょう。。
  

バスケ界に対する貢献度は半端じゃないです。
 

よし
是非とも続編を!
 

主人公が夢破れて居酒屋を経営してるところから・・・涙
 

BY HIROTA(Ryzm)

Column 2011.08.11

「岡村ちゃん」

・岡村靖幸
80年代、90年代のJ-POPを語る上ではずすことのできないPOPSTAR。
40歳前後の方々はもちろんご存知ですね。
 

3度の覚せい剤での逮捕により活動停止・・・
2010年5月に出所し2011年8月にはアルバムが発売。
 

もちろん覚せい剤の使用は許された行為ではありません・・。
でもこれだけは伝えておかなくてはいけない事が・・・
それは岡村ちゃんが当時(80年代後半〜90年代初頭)
日本で恐らく一番と言っていいほどの
バスケットボールのポップアイコンであった事・・これは紛れも無い事実。
 


 

楽曲のいたるところにバスケが出てくる事はもちろん
ファンの集いをバスケにしたり、ステージにもゴールを持ち込みライブ中にシュート。。
ライブフィルム中のPV(1988年)では
恐らく日本で始めてのフリースタイルを披露。。
フリースタイルなんて概念は無かった当時において
パフォーマーとしても優れていた岡村ちゃんだから辿り着いていた境地。。
本当に驚愕のカルチャーミックスをしていたのです。
 

http://www.nicovideo.jp/watch/sm5719177 ←ニコ同w・・
 

バスケ界にての業績は
覚せい剤にて消されていってしまったのですが
バスケを愛する気持ちは当時は人一倍だったのです。
 

これだけでコラム一本分書けるのですが・・
せっかく立ち上がったばかりの「SIDE」
てんこ盛りで続けます。
 

岡村ちゃんが活躍した同時期1990年。。。
日本バスケに革命が起きました。
「スラムダンク」の連載開始。
そこに至る
「井上雄彦」さんとの切っても切れないバスケな関係。
スラムダンクのきっかけは「岡村ちゃん」!?
なんて話しを。
 

岡村ちゃんは井上さんの2個上(学年は1つ)
世に出るのは岡村ちゃんが少し早かった
「和製プリンス」※Prince(ミュージシャン)
と呼ばれ20際前後にはすでに頭角を現していました。
1988年のシティハンター2でのEDテーマ「SUPER GIRL」にて
一層メジャーな存在となるのですが・・
 

うん?
 

そう
詳しい方はお気づき・・
当時の北条司さん(シティハンター原作者)の事務所では
井上さんがアシスタントとして働いていたのです。
その中で書き上げた井上さんの作品
「楓パープル」がやはり「1988年」に手塚賞を獲得
井上さんも時代の表舞台へと出る事になるのだが・・・
 

だいたい皆さん
「楓パープル」ってなんで「パープル」??
って疑問になりませんでした??
 

そりゃ作中だけじゃ答えは出ません・・
たださっき僕が話した岡村ちゃんを持ち出すと
全てのなぞが解けていきます。
 

音楽詳しい方ならピンと来るはず・・
そう
岡村ちゃんは当時から
「和製プリンス」と呼ばれてました。
だから何?となりそうですが
プリンスが好きな人なら更にうなずくはず。
・・そうです、プリンスの代表作
「パープルレイン」
1984年のこのアルバム以降
プリンスのイメージはその中性的で妖美な風貌から
完全に「パープル」になるのです。。。
 

はいはい
だからって
プリンスから「パープル」が来たなんて・・わからんでしょ??
 

と、僕も思ったのですが・・・
 

そう
またまた
勘の良い方
ヲタな方ならピンと来る・・。
 

楓パープルでの主人公と同姓同名
スラムダンクにおいても中性的な印象の流川楓が自転車に乗りながら聴いている曲・・・・
 

そう
実はあの歌詞
 

「プリンス」なんです・・・。
 

おいおい・・だとしたら
このプリンスが、暗に日本でバスケをPRしている和製プリンス岡村ちゃんを指していたのかも・・
なんて思っても不思議ではない・・。
そう井上さんは、岡村ちゃんの大ファンだった説・・
 

・・・あるよね。
 

話し戻って
スラムダンクが1990年に連載開始すると
同年の10月に
「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」
岡村ちゃんの不滅の「バスケ青春ネ申曲」が生まれます。
 

まぁ実際の親交、影響を受けた、与えた・・・それはわかりません。
ただ
現在より明らかに面白いカルチャーミックスが行われた1990年。
ポップで怪しくて、魅力的な世界に二人は共存していたのです。
 

僕なら同年代で、バスケ好きのプリンス好き!って
揃っただけで大親友になれそう・・
ただ一点
「覚せい剤」を除いてですが・・。
 

・・・。
 

最後にですが
井上さんも絶対に思っていると確信してるメッセージを・・。
 

「岡村ちゃん、どうか今度こそ・・。なんならバスケで立ち直ってください。」
 

BY HIROTA(Ryzm)

Column 2011.07.05

It’s better to burn out than to fade away

「It’s better to burn out than to fade away」
 

さてさて
コラム一発目って事ですがバスケとロックの重箱の隅を突いてみましょうか。
 

ロックの中でもオルタナティブ・ロックのグランジから。
まず「alternative」は一般的には「代替」のような意味の単語で音楽、文化方面に直すとメジャーシーンに対する「反発」「カウンター」というような意味合いで使われてるんですね。
「SIDE」でも重要な単語です。
そんなオルタナティブ・ロックの「グランジ」というジャンルから「Nirvana」と「Pearl Jam」それに続くバンドとの何だか妙なバスケとの関係を。
 

グランジと言えば、90年代初頭にシアトルを中心として巻き起こったロック・ムーブメントですがこの時代シアトルは様々な分野で活気付いていました。もちろんバスケも類に漏れず。ご存知スーパーソニックスが1989年はショーン・ケンプ、翌年にゲーリー・ペイトンそして1991年にジョージ・カールHCを獲得することにより93-94年にカンファレンス最高勝率を獲得し、95-96年にファイナル進出する近年の全盛期を迎える事となるのです。
 


 

その街の活気の後押しをうけて「Nirvana」と「Pearl Jam」がともに1991年にリリースしたアルバムが大ヒット。
 

・Nirvana‐「NEVERMIND」・Pearl Jam‐「Ten」
 

グランジと呼ばれるジャンルの代表格になって行きます。
比較されやすい事もありボーカル同士、カート・コバーンとエディ・ヴェダーはかなりの不仲。なんやかんやメディアでの応酬が度々起こってました・・。
 

へーってところから、何はともあれこの二つのバンドのバスケにまつわるエピソードをまずは紹介。
 

さてさていきなりですがムーキー・ブレイロックはご存じでしょうか?パールジャム好きな方はピンと来てるかもでしょうが
 

ムーキー・ブレイロックはテキサス生まれのNBA選手。
1989年オクラホマ大学からドラフト一巡目12位で
ニュージャージー・ネッツでデビュー。
1992年にアトランタ・ホークスに加入。
1994年と1995年にディフェンシブ・ファーストチームに選ばれる。
2002年にウォリアーズで引退。
 

まぁファーストチーム選ばれているけど、もちろん当時のスーパースターたちに比べると、なんだか地味な印象・・だけどこの「ムーキー・ブレイロック」実はさっき紹介した「パールジャム」のデビュー寸前までのバンド名だったんです。
 

パールジャムはメンバーがかなりのバスケ好きでデニス・ロッドマンと親しい中でも知られているがムーキー・ブレイロックって・・しかも「Ten」というアルバム名もムーキーの10番から。
 

なんだか理由はよくわからんがバスケが好きな事はよくわかる。。


ニルヴァーナにはバスケ好きかどうかは定かではないにしろ史上最高なバスケロックなPVがあります。

バスケットコートで歌われるこのPVはニルヴァーナの代表曲となり世界にインパクトを与えた曲として語りづがれることになるのだが、ただ、売れすぎてしまったこの曲の事をずっとカートは呪うことになります・・。
そして呪ったままカートは1994年を迎えるのです。

全ては「1994年」
 

ここでやっとロックとバスケットボールの奇妙な関係が浮かび上がります。
 

1994年バスケでは、カートの嫌いだったパールジャムがバンド名としていたムーキー・ブレイロックが初のディフェンシブ・ファーストチームに選ばれた年。
そして、シアトルス・パーソニックスがカンファレンス最高勝率を納めながらプレイオフで第8シードに敗れるというNBA史上初の大波乱が起きた年です。
 

その活躍と波乱を見届けたのか否か・・
 

1994年4月8日カート・コバーンがシアトルの自宅で自殺。
 

もちろんバスケと自殺の因果関係なんて、あるとは思えませんがシアトル出身のニルヴァーナの一番のヒット曲、そしてカート自身が一番忌み嫌った曲「Smells Like Teen Spirit」が 犬猿の仲だったエディの大好きなバスケットボールのコートで演奏されているのを見ると、全く関係無いはずのバスケットボールが何だか関係のあるものに感じてしまう。。
 


 

そして何かの終わりがあれば始まりも・・。
 

1991年
二つのバンドの絶頂期にシアトルから遠く離れたマンチェスターで「ザ・レイン」というバンドが結成されます。
後にバンド名を変え1994年4月11日カートの死の3日後に「スーパーソニック」とういうシングルでメジャーデビューするバンドは「OASIS」
 

レインにスーパーソニック???
 

・・・・・
 

もちろん
偶然だろうし意図は無いのかもしれない、でも、どの歴史にも記載されない、バスケとロックの奇妙な偶然・・・??
 

なんだかロマンチックでしょ?
 

BY HIROTA(Ryzm)

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